お客様が本当に欲しいのは“布団”という物なんかじゃない!
本当に必要なのは『満足な睡眠』だから本多快眠堂は“眠り”にこだわる。

今から数年前、私は京都に本社がある布団問屋で働いていました。
家業を継ぐための修行です。修行といっても、昔みたいな丁稚奉公ではなく、普通に他の社員と同じような扱い、同じ仕事をしていました。
ただ、給料は安かった・・・。
手取りで月5万程度。
住む所は会社が用意してくれました。
一人で生活するギリギリの金額でした。

私は幼い頃、布団屋という仕事が好きではありませんでした。
友人にお寿司屋さんやお菓子屋さんの息子がいて、その子の所に遊びに行くと鉄火巻きをごはんで食べさせてもらったり、おやつにアイスクリームが出てきたりして「彼らは毎日こんな生活ができて本当にうらやましい。布団屋なんかやめて違う店をしたらいいのに。」と真剣に思っていました。
(本当に幼かった・・・)

中学生、高校生になっても布団屋という商売はまったく興味は無く、なるべく家が布団屋だということを隠していました。そして数年後、就職活動をするようになった時も、布団屋を継ぐという選択肢は全くありませんでした。そんな私の気持ちを知ってか、父も「布団屋をやれ!」とは一言も言いませんでした。

大人になるにつれ、まわりの事もいろいろ考えるようになり27歳の時に布団屋をやることを決意し修行に行きました。しかしなぜこの時に布団屋をやろうと思ったのか、今でもよくわかりません。ただ、「実家が布団屋だったから」というくらいです。

この歳になると、まわりの友人は結婚して子供のいる人もいました。
家族や友人たちに「今から他で働く必要はない。すぐに店に入ったほうがいいのでは・・・」と言われましたが、「布団の正しい知識を身につけたい」「寝具業界に広い人脈を作りたい」との思いで、あえて27歳からでも布団問屋でお世話になることにしました。
修行中いろいろつらい思いもしましたが、その決断は間違っていなかったと思っています。

初め東京支社に居てその後京都本社に移り、働いていました。狭いアパートで貧乏暮らしをしていましたが、じっとしていることの出来ない私は休みになるとデパートの布団売り場を見てまわったり、流行の場所に一人で出かけたりして楽しんでいました。
あるとき社長から「そろそろ家に戻ったら」と言われ、会社を辞める時期を考えていました。

そんな時です。
父が突然倒れ、そのまま他界してしまいました。
あまりにも突然だったので、父の居なくなった実感が全くありませんでした。
葬儀を終え、私はそのまま会社を退職しました。

父が亡くなって1週間くらい経った頃、一度アパートを片付けに京都に戻り、作業をしながら今後の布団屋の事を考えていました。今までは、「実家が布団屋だから」というくらいにしか思っていませんでしたが、父が亡くなり、何だか急にこのままではいけないような気がして布団屋をもっともっと一生懸命にやっていかなければと感じたのです。
「小さい頃、自分が好きではなかった布団屋」
「用がなければ行かない布団屋。」
そんな店を皆さんに喜んでいただける店づくりをして、もっと活気のあるワクワクするような布団屋にしていこうと誓いました。

そう思うようになってから、私は「眠り」ということを伝える布団屋という仕事がだんだん好きになっていき、今ではこの仕事がとても大好きで楽しくて仕方ありません。
父の死はとてもショックでしたが、その代わり私にすごく大切なことを気付かせてくれたような気がします。その気持ちは今後も忘れることのないよう持ち続けていきたいです。
ですが、まだまだ努力が足りず、あの時誓った「皆様に喜んでいただける店づくりをして、ワクワクするような布団屋」には程遠いですが、日々「眠りのこと」「布団のこと」を勉強し、真面目に布団屋を頑張っていきます。




店主 本多 直也

取得資格
国家資格一級寝具製作技能士、寝具科職業訓練指導員、睡眠環境診断士、睡眠改善インストラクター
受賞歴
愛知県寝具製作技能競技大会 優勝、寝具製作愛知県知事賞受賞
「眠り」のこと、ふとんのこと、座布団のこと、ベッドのこと、“綿”のこと、“綿”のこと、お布団のお直しのこと、お布団の洗いのこと、羽毛ふとんのこと、枕のこと、ハグみじゅうたんのこと などなど、お気軽にご相談下さい。

店内にあるたくさんの賞状国家資格一級寝具製作技能士、その他たくさんの睡眠の資格等

国家資格一級寝具製作技能士資格認定者のみに贈られる、記念の楯 職人の証

国家資格一級技能士のみが、さらに講習を受けて取得する職業訓練指導員資格